「社会学講座」アーカイブ

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講義一覧

6/30 スポーツ社会学(ニュース解説特別編)「2002年W杯・韓国についての諸問題(続)」
6/29 
競馬学概論「90年代名勝負プレイバック〜“あの日、あの時、あのレース”(15)」
6/28 
スポーツ社会学(ニュース解説特別編)「2002年W杯・韓国についての諸問題」
6/27 
演習(ゼミ)「現代マンガ時評」(6月第4週分)
6/25 文化人類学「ネイサンズ国際ホットドッグ早食い選手権展望」
6/24 教育実習事後指導(教職課程)「教育実習生の内部実態」(5)
6/23 文献講読(小説)『夏、雲ひとつ無い夜に─』(4・最終回)
6/22 
競馬学特論「G1予想・宝塚記念編」
6/21 教育実習事後指導(教職課程)「教育実習生の内部実態」(4)
6/20 
演習(ゼミ)「現代マンガ時評」(6月第3週分)
6/18 
メディアリテラシー特論「『探偵ファイル・電脳探偵マル秘レポート』に対する論題・その後」(6/19に追加講義あり)
6/17 教育実習事後指導(教職課程)「教育実習生の内部実態」(3)
6/16 文献講読(小説)『夏、雲ひとつ無い夜に─』(3)

 

6月30日(日) スポーツ社会学(ニュース解説特別編)
「2002年W杯・韓国についての諸問題(続)」

 ※お断り※ 今日の講義は「ニュース解説」との連動企画であり、駒木ハヤト本人の主観的意見が中心の内容となります。客観性を欠く部分があるかと思いますが、コンテンツの性格をご理解ください。また、文体は常体(で、ある調)となります。

 ※本日付講義は6/27付ニュース解説、及び6/28付講義(特別編)の続きになります。未読の方は、まずそちらをどうぞ。


 さて、本国で文字通り熱狂的なパフォーマンスを繰り広げた韓国サポーターたちの話である。

 “レッドデビル”の異名をとる、赤いTシャツに身を包んだ彼らの行動は、まず真っ先に当の韓国国内で賞賛を受けた。曰く、「秩序だった行動」、曰く「サポーターの鑑であった」……などなど。
 なるほど、ロシアみたいに敗戦後の暴動は起きなかったとされるし、ドイツ戦直後に観られた爽やかにエールを交換する風景や、朝鮮戦争時代の同盟国とあって戦前から友好ムードに満ち溢れていたトルコ戦での応援風景は、TVを通じて観ていても気持ちの良いモノではあった。そこだけをピックアップすれば、そのような高評価もあながち嘘ではない。

 だが、W杯会期中の韓国サポーターたちの行動を俯瞰してみると、その行動のどこが「鑑」なのかと、思わず首を捻じ切らんばかりにひねりたくなる出来事が続発している。
 ハッキリ言おう。彼ら、韓国サポーターたちの行動は、ホスト国のサポーターとして、サッカーファンとして、スポーツファンとして、そして人間として恥ずかしい愚行の連続であったと。
 普通、このような場合には「ごく一部の心無い人のために、全体の印象が悪くなってしまった」とするべきなのであろう。しかし、今回に関してはその「ごく一部」の人が余りにも多すぎたし、時には全サポーター揃って粗相を働くというケースまで出てしまっては、このような過激な表現を使わざるを得ない。
 それでは、彼らの問題行動がどんなものであったか、時系列に沿って主なものを紹介してゆこう。

 まずは1次リーグが行われた時期の問題行動、それはリーグ緒戦・ポーランド戦の前夜から始まった。

 試合まで24時間を切った真夜中のポーランド宿舎前、場違いな格好をして彼ら・韓国サポーターはやって来た。
 彼らはそこがポーランド選手が英気を養うために眠っている宿舎の前であると確認すると、突如としてドンチャン騒ぎを始めた。鳴り物を鳴らし、叫び声をあげる。1人や2人ではない。少なくとも2ケタ人数の集団でのバカ騒ぎである。たちまち、ポーランドの選手たちは寝入り端を起こされる形となり、何事かと慌てふためいた。
 たちまち警備員がやって来て、その時はそれで収まったが、執念深い連中は再び朝5時に宿舎前へ襲来した。今度はお馴染み・「テーハミングク」の大合唱である。やっと熟睡することが出来たばかりのポーランド選手たちはまたしても安眠を妨害されて頭を抱えた。迷惑な輩は出動した警察が追い払ってくれたが、もう疲れを癒すだけの時間は残されてはいなかった。
 当日の韓国×ポーランド戦、ポーランドの選手たちは明らかに精彩を欠く動きで韓国に圧倒され、完敗を喫した。それが睡眠不足によるものだったのかどうかでは定かではないが、それを抜きにしても卑劣な行為と言って然るべきであろう。
 ちなみに、この安眠妨害作戦は1次リーグを通じて行われたと言われる。

 また、スタジアムの中でも、ポーランド選手に対する敵意に満ちた振る舞いがなされ、通信衛星を通じて世界中にその様子が放映された。
 ポーランド国歌斉唱の際に、観客席の大半を埋め尽くした韓国サポーターが、下品にもブーイングを投げかけたのである。これはもう国家に対する侮辱と言っていいだろう。幸いにも、その後の試合では国歌斉唱へのブーイングは影を潜めたが、これはこれで拭い去れない汚点である。
 これに関しては、“サポーターとしての世界標準のマナー”に無知であった故のミステイクであったと弁護する声もある。日本サポーターも、相手チームの選手紹介の時にブーイングを飛ばして、一部外国人記者の顰蹙を買ったりした。スタジアムでの振る舞いについては、選手のレヴェルだけ高度成長中のサッカー発展途上国である東アジア諸国共通の課題なのかも知れない。だが、どんな時であれ、他国の国歌が演奏されている時にそれを侮辱する行動をとるというのは、サポーターとしてのマナーとか、そんな範疇をはみ出していると思うのだが、どうか。

 しかしこれだけでは収まらない。さらにこの時期、直接試合に関係無いところでも様々な醜聞が伝えられている。
 ポルトガル代表を警備する係員に「どうして敵国の味方をするのか」と暴言を吐いた、などの細かい話は数多いし、無いことになっていた暴動が、実は危うく起こりかけていたという場面もあった。
 1次リーグ最終戦、ポルトガル戦に勝利して決勝トーナメント進出が決まった瞬間、市街のパブリックビューイングで試合を観戦していたサポーターの一部が暴走し、車道を占拠。通行していたバスを集団で取り囲んで走行不能にし、その屋根に登ってバカ騒ぎを始めたという。また、その一方でパトカーをひっくり返そうとまでした集団もあったらしい。
 なるほど、確かに集団で一致団結。秩序立ったサポーターたちである。ただ、その目的が暴動まがいであってはどうしようもないのだが。

 こうして、韓国サポーターの1次リーグは終了した。来るべき決勝トーナメント1回戦の相手はイタリア。波乱の1次リーグを象徴するように、強豪イタリアは、リーグ2位の枠に入ることとなった。
 今になって思う。この時の対戦相手がイタリアでなく、メキシコかクロアチアであったら良かった、と。もし、イタリアが“憎き”アメリカを倒すために韓国へやって来たのなら、彼らは最高の歓待を受けたであるに違いないからだ。
 しかし、現実の彼らは韓国の対戦相手である。
 そんなアズーリに用意されていたのは、およそ考えられる限りで最低の“寒待”であった。

 韓国戦を控えた最終調整のためにスタジアムを訪れたイタリア選手団は、その前に広がる光景に、思わず我の目を疑った。
 まだ誰もいないスタンド、その空席状態となっていた数千のイスに、白いペンキで人文字ならぬ“椅子文字”が描かれていたのだ。

“1966 AGAIN”

 1966年のW杯、当時から強豪国であったイタリアは、アジアの小国・北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の前に不覚を喫し、1次リーグ敗退の屈辱を味わった。
 そんな失意のドン底に叩き落されたまま帰国した選手たちに、イタリアの熱狂的なサポーターは「可愛さ余って憎さ百倍」とばかりに生卵を投げつけ、空港はまさに修羅場と化した。まさにそれはイタリアサッカー史上最悪の年。それが、1966年なのである。

 それを、もう一度だと───?

 イタリアサッカー関係者の憤りは怒髪天を衝いた。この行為がフェアプレー精神、及び対戦国への配慮を欠いたものであると、イタリアサッカー協会は直ちに正式な抗議をFIFAに対して行った。当然の事である。

 どうして韓国サイドはこんな馬鹿な真似をしたのか。どうやら多くの人は、「朝鮮民族が1966年に成し遂げた偉業をもう1度」という意味のキャッチフレーズとして、このフレーズを採用したらしい。まったく無邪気というか、何と言うか。
 世の中、何がタチが悪いといって、無意識に他人を傷つける事ほどタチの悪いものは無い。ましてやそれが国を挙げてのものとなれば、尚更である。自分たちがイタリアに対してやった事が、冬季オリンピックのショートトラックでアメリカ応援団から「ワンモア・ソルトレーク」という横断幕を掲げられるのと同じ事だと知らされたら、彼らはどんな気持ちに至るだろうか。
 しかも更にタチの悪い事に、この“1966AGAIN”を確信犯的に掲げた韓国サポーターもいたようだ。それは、当日の会場に次々と掲げられた、ご丁寧にイタリア語に翻訳した罵詈雑言をレタリングした横断幕を見ればよく分かる。「アズーリの墓へようこそ」、「イタリア、くたばれ」、そしてここでも「1966AGAIN」というフレーズがスタンドを飾った。まったく、禍禍しいデコレーションである。

 ポーランド戦からミソを付けっ放しの、試合中の韓国サポーターの観戦マナー、これはこの日も最悪と言っていいシロモノだった。
 どんな時であろうと、イタリア選手がボールを持った瞬間に野太いブーイングが浴びせられた。それは負傷して苦悶の表情でピッチにうずくまる選手にも関係なかった。
 また、試合中によく見られる、
 “ある選手が負傷したのを見た者が、試合を中断してボールを外に出す→相手チームの選手はスローインで本来ボールを持つべきチームにボールを返還する”
 といった、スポーツマンシップの典型というべきプレイが見られても、拍手1つよこさない。とにかく彼らの頭の中は韓国の勝利だけ。それ以外、何に対する配慮も有りはしなかった。だからこそ、あんな世にも酷い試合を見せられて、自国の“栄誉”に有頂天となることができたのだろう。

 この試合の後、決勝トーナメント1回戦終了時点での“フェアプレー賞”の得点集計中間発表が行われた。
 賞の対象となるのはベスト16に残ったチーム。日本では情報操作を施された結果、ほとんど公にされなかったが、韓国は断トツの最下位であった。
 詳細な採点経過を見ると、その理由は一目瞭然だった。
 1試合につき1000点満点で行われる採点結果、韓国に与えられたその点数は、1次リーグの3試合では700点台だったものの、イタリア戦では300点台という“赤点”を計上した。韓国が最下位となったのは明らかにその“赤点”のためだ。
 フェアプレー賞の採点基準は、警告・退場の数、プレーの積極性、監督・コーチの振る舞い、審判に対する敬意、そして対戦相手に対する敬意と観衆の態度である。どうして韓国チームがイタリア戦で300点台しかつけてもらえなかったのか? それはここまでの話を聞いてくれた全ての人がよくお分かりだろうと思う。

 さて、次なる準々決勝のスペイン戦、ベスト16のイタリアですらああなのだから、準々決勝はどうなるのだろう、と思っていたが、この時の韓国サポーターは、イタリア戦に比べると大人しかった。酷い文句を書いた横断幕も無かったし、椅子文字があったとも聞いていない。もっとも、試合中における節操の無いブーイング攻勢は相変わらずだったので、それを果たして“大人しい”と言って良いのかどうかは微妙なところだが。
 どうして準々決勝で韓国サポーターが相対的に大人しかったのかというと、どうやらサッカーにおける過去の因縁や、戦争で敵対したことが無かったから、という話らしい。
 ご存知の通り、サッカーの世界にはプロレスばりの“因縁の対決”が存在する。これもご存知の通り、最も有名なものはイングランドVSアルゼンチンで、W杯のみならず、本物の戦争(フォークランド紛争)で戦った間柄でもある。今大会の1次リーグ・札幌での両チームの対戦の際には、サポーター同士の衝突を想定して、市内に厳戒態勢が敷かれたのは記憶に新しいところだろう。
 しかし、だ。今大会の韓国サポーターは“因縁の敵国”を作り過ぎる傾向がある。アメリカ、イタリア、そしてこれから述べるドイツ。どれもこれも、サッカーでの韓国との因縁は薄い国ばかりである。
 オリンピックでたった1度だけ生まれた因縁を無理矢理広げてみたり、40年以上前の隣国との因縁に無理矢理便乗して騒ぎ立てたり、第二次世界大戦でのあるようで全く無い因縁を無理矢理蒸し返そうとしたり……。
 どれもこれも韓国側が無理矢理作り上げた“因縁”である。ホスト国のサポーターとあろうものが、いたずらに他国に敵愾心を燃やして、それを煽る。これが果たして賞賛される行為だろうか? 少なくとも駒木はそうは思わない。韓国の“因縁の対決”は韓国VS日本だけで十分だ。もっとも、それだって嫌がる日本を無理矢理引きずり出しての“因縁の対決”なのだが。
 
 ともあれ、韓国の対スペイン戦は、韓国サポーターの相対的な大人しさと反比例するような酷いイリーガル・ジャッジの恩恵を受け、PK合戦の末に勝利を収めた。そして準決勝で相対するのはドイツと決まった。

 さて、この組み合わせが決まった直後から、日本のサッカーファンの間では、ある1つの懸念が浮かび上がっていた。それは、
 「ひょっとしたら、韓国サポーターはナチスドイツに関連した横断幕を作って、スタジアムに掲げようとするのではないか?」
 ──と、いうものであった。国史の上で、第二次世界大戦が極めて重要な位置を占める韓国がドイツを“因縁の敵国”とみなしてネガティブ・キャンペーンに出た場合、真っ先に考えられるパターンは、ナチス関連の檄文を横断幕にする事だった。
 もちろん、今も昔もナチスやドイツ第三帝国の話はデリケートな問題であり、一部の国や地域によっては一種のタブーとなっている。特にイスラエルとの結びつきの強いアメリカなどでは、便所にカギ十字の落書きをして捕まるだけでも新聞沙汰になってしまうほどだ。
 常識的に考えると、ナチスドイツをネタにした横断幕など、まさしく狂気の沙汰である。しかし、ここまで“相手が本気で嫌がる事”に対する鈍感さを発揮している韓国サポーターの行動パターンを考えると、カギ十字の横断幕などは、いかにもやってしまいそうな事に思えたのである。

 ──そして、その危惧は現実のものとなった。なってしまったのだった。

 試合前、スタジアムへ向かう途中の市街地で、韓国サポーターが誇らしげにプラカードをTVカメラの前に突き出した。そこに大写しになったハングル文字は、こう書かれていた。

「ヒトラーの息子達は去れ!」


 スタジアムの中ではもっと酷い事になっていた。カギ十字に、日本の駐車違反標識のようなマークを被せた「ナチスドイツ禁止」の垂れ幕が掲げられたのである。しかし、これはFIFAサイドが迅速に対応し、垂れ幕はドイツチームが入場する前に強制撤去されて事無きを得た。
 いや、正確には事無きを得ていなかった。愚かな1人の韓国サポーターが垂れ幕をセッティングしている様子がアメリカのマスコミに写真撮影され、yahooを通じて全世界に報道されたのだ。憎きアメリカに己の国民の恥を晒されるこの屈辱!
 もしもこれにドイツのマスコミが反応し、ドイツの政界にまでこの話が及ぶようになれば外交問題にも発展したが、不幸中の幸いでそれは避けられた。
 駒木の知人であるドイツ在住のOliver君──あのスラッシュドット・ジャパンの…と言えばご存知の方も多いと思う──の報告によると、ドイツではワイドショー的な番組も含めてテレビでの報道はゼロだったそうだ。しかしこれは、ドイツ人がこの問題に無頓着なわけではなくて、「大人というものは、馬鹿なガキなど端っから相手にしない」というスタンスのようである。それがどういう事なのか、ということは、実際にOliver君からのメール本文を読んで理解して頂こう。(本人の了解を得ています)

(ナチス関連のプラカードや垂れ幕は、ドイツ人にとってどれくらい“ヤバい”ものなのか、という駒木の問いに対して)

 そんなことがあったんですか。こっちでは、試合前も試合後もそんな事は国営放送もワイドーショ風っぽい民放でもまったく触れられませんでした。
 勝ったからかもしれないが、ドイツとしては純粋にサッカーを楽しむ面もあり、そんなあからさまに間違った、というか無知をさらけだしたプロパガンダなんて感知するところではありませんし、それで選手がヘコむこともないでしょう。
 逆に鼻で笑われるのがオチ。過去との清算がちゃんと行われ、自己像の確立されたドイツは日本とは違い、そんな間違ったカードで恫喝されたりはしない。

 特に最後の段落は日本人として考えさせられる部分も多いが、それについて述べるのは今ではないだろうから口をつぐむ事にする。
 とにかく救いだったのは、ドイツ人が政治的に歴史認識的に成熟した人たちだったという事だ。こう言ってはアレだが、もしもドイツ人が韓国人のような気質だったら…と想像するとゾッとする話である。
 まったく、ナチスでドイツ人を煽った韓国の人たちは、あれほど自分たちに関する歴史についてナーバスになっているのに、どうして他国のそれに関しては余りにも無頓着なのだろうか。あんまりこういう事は言いたくないのだが、「自分がされて嫌な事は人にするな」と家庭や学校で習わなかったのかと思ってしまう。

 ナチス関連では無かったが、酷いプラカードはまだあった。ドイツ選手の遺影を作り、「敗者の冥福をお祈りします」と記したものを、またしてもTVカメラに掲げていた馬鹿者がいたのだ。不謹慎にも程がある。
 
 ……試合終了後に健闘を称える拍手を送り、「素晴らしいサポーターたちだ」と賞賛された韓国のサポーターたちだが、その直前までの実態は以上の通りである。勿論、この試合でもゲーム中の過剰ブーイングは相変わらずだった。終わりよければ全て良し、とは言うが、果たしてそれで本当に良かったのかどうかは、皆さんの胸の中で考えてもらいたい。

 3位決定戦のトルコ戦については、先に紹介した通り、トルコが朝鮮戦争時代の盟友であることもあって、極めて温和なムードの中で進行した。だが、これがもし、アメリカや日本が相手だったら、恐らくこうはならなかったであろう。この試合も、相手が友好国だったから大人しく応援していただけで、本質的に韓国サポーターが宗旨変えをしたわけではないのだ。

 サポーター問題の最後に、この大会の中での韓国の日本に対する態度についての話、そして今回の2国共催についての意義についての話もしておこう。

 日本のマスコミの“大本営発表”では、さも韓国サポーターが日本に対して友好的な態度で接し、自国と同じように日本を応援していたかのように伝えられているが、それは全く正反対である。日本代表を応援していた韓国人は在日韓国人の方たちくらいであって、少なくとも在韓韓国人の圧倒的多数は“アンチ日本代表”であった。
 日本がマスコミを中心に、不当判定試合にイラ立つ日本人サッカーファンが辟易するほどの“共催国である韓国を応援するぞモード”に入っていたのとは対照的に、韓国は“催国である日本の敗退を願うぞモード”に入っていたのだ。
 日本の試合では公然と相手チームを応援し、日本選手の放つシュートが外れるたびに大歓声が沸き起こった。挙句の果てには韓国のスポークスマンが「今回、我々が横浜の競技場に韓国国旗を掲げる事が出来れば、それは日本に対して屈辱を与える事になるだろう。我々はそれを望んでいる」という旨のコメントを発表する始末である。

 もともと今回の共催は、九分九厘日本の単独開催で内定していたものを、韓国サイドがFIFA内部での政治力を駆使して権利の半分を“強奪”したものである。最初から“仲良く共催”というわけではなかったのだ。その上、韓国が歩み寄る姿勢を全く見せなかったのだから、“友好的な共催”が成功するわけがない。それを自覚せず、もしくは自覚しない振りをして、一人相撲をとった日本のサッカー界とマスコミ。その姿は哀れなほどに滑稽であった。それは理想を追い求めていただけに余計にそう映ってしまった。
 FIFAサイドはコストの面などから、今後の複数国による共催は行わない方針だと発表した。的確な判断であろう。しかしもし、また共催W杯が実施される事になった時は、今回のような滑稽な悲喜劇が繰り返されない事を祈るのみである。

 さて、韓国のサポーターについての話はこれで締めくくるとしよう。こんな連中(敢えてこう言う)が応援する韓国代表チームが不正ジャッジで偽りの快進撃を見せつけたところで、怒りと憎しみこそ湧けど、応援する気持ちになどなれなかった人が、それこそゴマンといたことがこれでご理解頂けると思う。

 しかし、この問題はこれで終わりではない。
 日本で、この韓国代表に関する問題を大きくこじらせた“A級戦犯”は、不正ジャッジの審判団でも、韓国代表選手や韓国サポーターでもなく、日本のマスコミ連中であった。これについても、時間を使ってお話したいと思う。

(追記7/2:韓国サポーターによる問題行動のエピソードで、まだあと2つ紹介し忘れていたものがありましたので、蛇足ながら追記させてもらいます。
 まず1つ目。決勝トーナメント1回戦のアメリカ×メキシコ戦で、座席の空白を埋めるべく動員された韓国サポーターが、全く自国とは関係無い試合であるにも関わらず、太極旗を振りかざし、「テーハミングク!」と場違いに叫んで大顰蹙を買ったというエピソードがありました。
 そして2つ目。準決勝を直前に控えたドイツチームの練習において、時間制限付の公開練習だったにも関わらず、制限時間を過ぎて退場の指示をされても平気な顔をして翌日の応援の準備をしていたマナー違反の韓国サポーターがいた、という話も報道されています。
 まさに枚挙に暇が無いくらい数がある問題行動のエピソードなのですが、現地に滞在した人によると、韓国の人たちは、ひとたびサッカーを離れると、極めてフレンドリーでマナーを守った善良な市民だったそうです。まさにサッカーが全てを狂わせてしまった、という事なのでしょうか。どうして普段通りの道徳心がサッカーを通じて発揮できなかったのか、と考えると非常に残念でなりません)


 ご覧のように、またしてもロングランの講義になってしまいましたので、再度中断いたします。続きは明日付の講義の中でお送りいたします(月曜日付講義に続く

 


 

6月29日(土) 競馬学概論
「90年代名勝負プレイバック〜“あの日、あの時、あのレース”(15)」
懺悔番外編:宝塚記念3歳馬挑戦史

珠美:「さて、ご覧のように今日は番外編となります。しかも『懺悔番外編』(苦笑)。どうしてこんな事になったかは、博士から直接説明して頂きましょう」
駒木:「え〜、談話室(BBS)によくいらっしゃる受講生の方は、もうご存知だと思いますが、問題の発端は先週の競馬学講義でした。

駒木:「(前略)……3歳馬の挑戦と言うと、ここ10年ではたった1度、6年前にマル外牝馬のヒシナタリーが挑戦してる。この時は斤量52kgで、13頭中10番人気の4着と健闘してるね。3着のダンスパートナーとハナ差だから、この4着は価値が高いと言っていいんじゃないかな……(以下略)」 

 ……頭ボケボケの未明に行った講義とはいえ、とんでもないボーンヘッドでした。
 この箇所に関して、講義の直後から受講生の方たちの指摘が相次ぎました3歳馬(注:以下、旧表記時代の馬齢も新表記で統一します)の挑戦はもっとたくさんあるじゃないか、そんな指摘でした。
 そうです。宝塚記念における3歳馬の挑戦は、ヒシナタリー以外にも、まだたくさんありました。その中には駒木が実際に競馬場で生観戦した年のレースもあり、まったくお恥ずかしいばかりであります。
 そこで今回は、そんなチョンボの罰符代わり「宝塚記念3歳馬挑戦史」をお送りする事になりました。どうぞよろしくお願いします」
珠美:「……というわけで、今日はいつもの競馬学概論講義とは違うスタイルでお送りしますね。普通なら、私がレースの概要や出走馬の紹介をして、それを博士に解説して頂くんですが、今日はそれも博士にやって頂くことになります。そういうわけで、私は単なる進行役に徹させて頂きますので、どうぞよろしくお願いします。
 では博士、まずは宝塚記念の概要を、3歳馬の出走条件のお話を中心にお話して下さいますか?」

駒木:「うん。宝塚記念が創設されたのは1960年(昭和35年)のこと。4年前に創設されたグランプリ・有馬記念の成功を見て、「これはイケる」と思った競馬関係者が、その関西版を作ってみようって思ったという、ある意味安直なアイディアだったらしい(笑)。ファン投票による出走馬選定、というのもそういう理由からだね。
 で、創設当時の条件は、阪神競馬場の芝1800m距離は徐々に延長されて第7回から2200mになった。そして気になる年齢上の出走条件は、意外な事に当時から3歳以上なんだよね」
珠美:「えっ、第1回から3歳馬に門戸が開かれていたんですか?」
駒木:「そうなんだ。ただその時は、1968年の第9回から出走条件が4歳以上に変わってしまう。レースの施行時期がダービーの翌週とか翌々週になってしまったからなんだ。それまでの8年間で3歳馬が勝ち馬になった事もなかったし、それなら古馬のローテーションに合わせて、春の天皇賞から狙いやすい涼しい時期に施行しようということになったんだと思う。今と逆の発想だね。今は3歳馬が挑戦しやすいように、ダービーから狙いやすい時期に施行してるわけだから」
珠美:「なるほど……。同じレースでも、考え方次第によって、随分とスタイルが変わってくるものなんですね。
 あ、ところで博士、その第1回から8回までは、3歳馬の挑戦はあったりしたんですか?

駒木:「え〜とね、とりあえず手元に第1回から第5回までの出走馬全成績表があるんだけど、それが結構挑戦してる3歳馬は多いんだよね。
 まず第1回は3頭で、第2回は4頭立てだったんだけど、それでも1頭出てる。その後も第3回に1頭、第4回に4頭、第5回も1頭。第4回に出走が多かったのは、この年から第8回まで斤量が賞金別定になったんで、軽量で出走できる二線級の3歳馬が集まったんじゃないかと思うよ。
 このあたり、もうちょっと詳しい話が分かれば良かったんだけどね。大阪のJRA広報センターまで通えば、もっと詳しい資料が見つかったと思うんだけど、そこまで通う余裕が無かったんだよ。その辺は、また時間が作れたら続編をお送りするという事で」
珠美:「分かりました(笑)。
 ……それでは、それから次に出走条件が3歳以上に変更されてからのお話をして頂きましょう」

駒木:「はいはい。また条件が3歳以上になったのは1987年の第28回から。でも、時期がダービーから中1週という過酷なローテーションだったことと、古馬の出走馬レヴェルが高めだったのもあって、挑戦する3歳馬はなかなか現れなかったんだ。出走条件の再変更後、実際に3歳馬がエントリーしたのは1991年が初めての事だったよ。
 …それじゃ、1991年宝塚記念の出馬表を見てもらおうかな。馬名欄が薄緑になっているのが3歳馬だよ」

馬  名 騎 手
メジロライアン 横山典
イイデセゾン 田島良
ホワイトストーン 田面木
タイイーグル 安田隆
イイデサターン 村本
オースミシャダイ 松永昌
ミスターシクレノン 角田
ショウリテンユウ 西浦
バンブーメモリー
10 メジロマックイーン
(単枠指定)
武豊

珠美:「単枠指定っていうところに時代を感じさせますね(笑)。まだ馬券が枠連しかなかった頃に、同枠馬の出走取り消しでトラブルになるのを避けたり、オッズが割れるようにする狙いなんでしたっけ?」
駒木:「そうそう。一定の評価は受けてた一方で、『JRAが強い馬を予想してるのと一緒だ』って批判もあったりした。馬連が定着した今では、もう昔話だけどね」
珠美:「それでは、この年のレースと、出走した3歳馬についてのお話をして頂けますか?」
駒木:「レースの模様は詳しく解説したいところだけど、時間の都合もあるから簡単にね。
 この年の宝塚記念はメジロライアンが唯一のG1勝利を飾ったレースとして有名だね。ライアンは、ここまでG1レースを5回走って、2着2回、3着2回、4着1回という典型的なイマイチ系名馬。2回の2着は、ダービーとオグリキャップの引退レースになった有馬記念。もう典型的な引き立て役なんだよね(苦笑)。
 でもこのレースは、そんなメジロライアンが主役を務めた数少ない機会だった。なにせ、3コーナーから先頭に立って、先行していたホワイトストーンを競り落とした上にメジロマックイーンを完封だからね。
 このG1勝ちが無かったら、引退後の種牡馬としての価値も下がっていただろうし、そうしたらメジロブライトとかの代表産駒は生まれていなかったかもしれない。それを考えると値千金の勝利だよね。
 あ、あともう1つ。このレースは杉本清アナウンサーが、始めて『私の夢』、つまり自分の馬券の軸馬を放送中に公開したレースとしても知られてる(笑)。『あなたの夢はメジロマックイーンか、ライアンか、ストーンか。私の夢はバンブーですってね(笑)。結局、杉本さんの夢はシンガリ負けだった」
珠美:「(笑)」
駒木:「あと、2頭の3歳馬についてだね。この年挑戦したのは、皐月賞・ダービー3着馬のイイデセゾンと、僚馬・イイデサターンイイデの冠名を持った馬はこの年3頭ダービーに出走してるんだけど、その内の2頭だね。イイデの馬主さんは、初めて買った馬の中にこの年の3頭がいたらしいんだから、凄い幸運だよねぇ。
 で、中1週で果敢に宝塚記念に挑んだわけだけど、イイデセゾンなんか、これがデビューから19戦目。ローテーションもキツかったし、さすがに上がり目が無かったみたいだね。相手も当時の古馬最強クラスが出ていたわけだから、力関係も厳しかったイイデセゾンは見せ場無く流れ込みで7着。イイデサターンは逃げ潰れて9着に惨敗しているよ
珠美:「…ハイ、ありがとうございました。それでは時間もありませんし、次のレースの解説をお願いします」
駒木:「その次に3歳馬が挑戦したのは1994年だね。これも出馬表を見てもらおうか」

馬  名 騎 手
インターマイウェイ 田島信
ナイスネイチャ 松永昌
ステージチャンプ 南井
ゴールデンアワー 山田泰
ダンシングサーパス 熊沢
ネーハイシーザー 塩村
サクラチトセオー 小島太
アイルトンシンボリ 藤田
アラシ 土肥
10 マチカネタンホイザ 柴田善
11 ルーブルアクト 清山
12 ベガ
13 ビワハヤヒデ 岡部
14 イイデライナー

珠美:「あ、またイイデの馬ですね」
駒木:「そうだね。このイイデライナーも大概なハードスケジュールだよ。ずっと使い詰めで皐月賞、京都4歳特別、ダービーと来て、中1週で宝塚記念。この馬主さん、エグいことするよねえ(苦笑)。まぁ、数を使う事では有名な大久保正陽厩舎だってこともあるけれどもね。
 この年は、ビワハヤヒデが単勝1.2倍の圧倒的人気を背負って、それを裏切らずに正攻法で完勝。この頃から弟ナリタブライアンとの兄弟対決が話のタネになって来たりしたね。
 で、イイデライナーは良い所無く12着惨敗。ダービーが2ケタ着順だった事もあって最低人気だったし、まぁ仕方ないって所かな」
珠美:「えーと、そして次がヒシナタリーの出走した1996年ですね」
駒木:「そうなるね。じゃあ、このレースは出馬表を見てもらって、あとは最低限の話にとどめようかな」

馬  名 騎 手
カミノマジック 菊沢仁
レガシーワールド 芹沢
ヒシナタリー 熊沢
サンデーブランチ
ゴールデンジャック
サージュウェルズ 大崎
ダンスパートナー 四位
フジヤマケンザン 村本
マヤノトップガン 田原
10 ホマレノクイン 石橋
11 オースミタイクーン
12 カネツクロス 的場
13 ヤマニンパラダイス 河内

珠美:「一見、豪華メンバーに見えるんですけど、実はそうではないんですよね、このレースは」
駒木:「そうだね。レガシーワールドもヤマニンパラダイスも、故障や年齢的な衰えで力を失ってしまってたからね。この年の出走馬では、純然たるG1級と言えるのがマヤノトップガンだけ。そして結果もトップガンが単勝2.0倍の1番人気に応えて完勝を果たしている。で、ヒシナタリーは4着健闘。この年から7月開催になってローテーションが楽になった事や、恵まれた相手関係を考慮したとしても、よくやったの一言じゃないかなぁと思うよ」
珠美:「それではどんどん先にいきましょう。次は1999年ですね」
駒木:「談話室でも言ったんだけど、この年は現場で見てるんだよなあ(苦笑)。ちょっとしたスランプで7番人気に落ちてたステイゴールドからの勝負馬券を握ってて、絶叫した記憶が生々しく残ってる(笑)。結局、2着から7馬身差の3着だったんだけどね(苦笑)」

馬  名 騎 手
ステイゴールド 熊沢
ヒコーキグモ 安藤勝
オースミブライト 蛯名
スエヒロコマンダー 藤田
グラスワンダー 的場
インターフラッグ 河内
マチカネフクキタル 佐藤哲
スターレセプション
スペシャルウィーク 武豊
10 キングヘイロー 柴田善
11 ローゼンカバリー 菊沢徳
12 ニシノダイオー 村本

珠美:「だんだん競走馬として親しみのある馬名が多くなって来ましたね」
駒木:「そうだね。で、この年の宝塚記念は、グラスワンダーがスペシャルウィークを競り落として1着。前年の有馬記念からのグランプリ連覇達成となる。人気の2頭が人気通り走ったんで、馬連配当は200円。ちょっとギャンブルとしてはゲンナリする結果だよね(苦笑)。
 このレース唯一の3歳馬・オースミブライトは、テイエムオペラオー・アドマイヤベガ世代だね。皐月賞2着、ダービー4着からの参戦。上位2頭から離されながらも3番人気に推されたんだけどね、やっぱり古馬の壁は厚くて、流れ込みがやっとの6着に負けてる。クラシックの伏兵クラスじゃ連絡みは厳しいメンバーだったよね。今年の出走馬レヴェルだったら、ひょっとしたかもしれないけど、まぁ仕方ないね」
珠美:「そして最後は昨年・2001年ですね。……って、博士、去年の出来事忘れてちゃダメじゃないですか(苦笑)」
駒木:「まったくだよねえ(苦笑)。去年のレースも現場で観てるんだよ。オフ会徹夜カラオケ明けというとんでもないシチュエーションだったんだけど(笑)」

馬  名 騎 手
ミッキーダンス 河内
ダービーレグノ
メイショウドトウ 安田康
テイエムオペラオー 和田
トーホウドリーム 安藤勝
ホットシークレット 柴田善
ダイワテキサス 岡部
エアシャカール 蛯名
ステイゴールド 後藤
10 アドマイヤカイザー 芹沢
11 アドマイヤボス デザーモ
12 マックロウ 藤田

珠美:「懐かしいというか、記憶に新しいというか、そんなレースですよね」
駒木:「ホットシークレットが逃げて、それをメイショウドトウが早めに捕まえて優勝。ところがオペラオーがズブくてねぇ。直線半ばからようやく伸びてきたんだけど、最後は2着も怪しかった。メイショウドトウは悲願のG1初制覇。なんか、メジロライアンとちょっと似てるのが面白いね。
 ダービーレグノはシンザン記念の勝ち馬皐月賞でも5着と健闘してたんだけど、やっぱりこの年は、その程度の馬が活躍できるにはレヴェルが高すぎたね。ブービーに負けてるけど、仕方ないと思うよ」
珠美:「……と、これで全部終わりましたね。博士、お疲れ様でした」
駒木:「あー、しんどかった(笑)。こんな事がもう二度と無いように頑張りますので、これからもまたよろしくお願いします。
 ……といったところで、今日の講義を終わります。ご清聴どうもありがとう」

 


 

6月28日(金) スポーツ社会学(ニュース解説特別編)
「2002年W杯・韓国についての諸問題」

 ※お断り※ 今日の講義は「ニュース解説」との連動企画であり、駒木ハヤト本人の主観的意見が中心の内容となります。客観性を欠く部分があるかと思いますが、コンテンツの性格をご理解ください。また、文体は常体(で、ある調)となります。


 まずは重複を恐れずに、W杯準決勝・ドイツ×韓国戦の結果を振り返っておこう。

 スコアは1−0でドイツの勝利。試合内容は後でまた述べるとして、掛け値無しに素晴らしい試合であった。

 その素晴らしい試合を演出した立役者は、やはり主審を務めたスイス人のメイヤー氏ということになるのだろう。90分以上もの間、一貫して極めて公平なジャッジを下し続けた彼は、まさにこの試合の最高殊勲者と言って差し支えない存在であった。
 試合開始直後こそ、様子見が過ぎて試合を“流し”すぎる所が見られたが、それにしても韓国・ドイツどちらかに有利だったというわけではなく、あくまで平等にアドバンテージを重視したレフェリングだった。
 そして、しばらくしてからは毅然と両チームに対して反則の笛を吹くようになった。立て続けに韓国のファールを裁いたかと思えば、その韓国にもペナルティエリア前からの直接フリーキックを与えた。それも観る者全てに納得のゆく理由によってである。
 彼のジャッジの中でも圧巻だったのは、後半40分の韓国ゴール前での判定だった。メイヤー氏は、ゴール前でのドイツ・ノイビルの転倒に対して、何ら躊躇する事なくシミュレーションのイエローカードを切った。間もなく映し出されたリプレイには、確かに自らの意思でダイビングしているノイビルの姿が映し出されていた。
 一歩間違えると、取り返しのつかない誤審騒動を生み出しかねないギリギリの判定。それを考えるとノーホイッスルで済ませたいのが人情だが、それでもマイヤー氏は笛を吹き、カードを出した。「審判とは、レフェリングとは何か?」という問いと、その答えを同時に見た思いがした。
 そんな勇気ある主審を支える2人の線審もよく働いた。試合終盤にどちらがボールを場外に出したかの判定で細かなミスが相次いだ以外は無難に職務を全うした。
 結局この試合、審判が試合の結果に直接影響を与えた場面は皆無であった。これは本来、至極当たり前の事なのだが、それを敢えて書かなければならないところに、今回のW杯にはびこる問題の根深さがある。

 さて、審判だけでなく、本来の主役である両チームの選手たちの戦い振りについても振り返っておこう。
 まずは忘れてはならない事がある。この試合、出場した両チームの選手たちはよく戦ったという事だ。それがW杯の準決勝に相応しい試合であるかどうかは別にして、2つの国のナショナルチームがぶつかり合う試合としては申し分の無い内容だったと思う。
 試合は地力と選手の平均身長で勝るドイツが、ほぼ終始主導権を握る展開になった。もはや定番となった、セットプレーからのヘディングシュートだけではなく、ドリブルでゴール前深く切り込んでゆく場面も数多く観られた。もちろん、ピンチの度に最高のプレーでそれを跳ね返した守護神・カーンの働きも特筆すべきものだ。
 ただし、試合を素晴らしいものにしたという点においては、韓国イレブンの懸命のプレーの方が貢献度は大きかっただろう。散発的ながら破壊力のある攻撃が度々見られたし、積極的なインターセプトや、ゴール前でドイツの得点を必死に阻もうとした守備は見事であった。
 これからW杯における韓国の試合について多くの批判を述べていくのだが、これだけは先に言っておきたい。韓国代表チームは実力のあるチームであった。少なくとも、決勝トーナメントで世界の強豪を相手に善戦健闘するだけの資格と能力は十分すぎるほど有るチームだった。
 このチームにとって悲劇だったのは、いくつかの負けるべき試合が、本来有り得ない理由で勝ち試合になってしまった事と、その事実に対して適切に対応する術を持たなかった事、さらに儒教の国に全く相応しくない腐った心を持ったボスを戴いてしまった事だった。韓国代表メンバーとヒディング監督、彼らは加害者にして、同時に被害者であった。それだけは我々も忘れてはならない事である。

◆───────◆

 今回のW杯において韓国に関する話をする時、やはり真っ先に扱うべきなのは、審判と誤審についての問題であろう。
 もともとサッカーはシステム上、誤審が起こりやすいスポーツではある。広大なピッチの中で、同時多発的に選手同士の接触が起こり、ボールが肉眼だけでは捕捉困難な高速で変則的な動きをするこのスポーツに、用意された審判はわずか4人、しかも実際に試合を裁くのはその内の3人に過ぎない。サッカーのレフェリングが非常に大変な作業であるという事は、これだけでもよく分かろうというものだ。
 しかし今大会は、その点をいくら深く考慮しても誤審が多すぎた。部活動の練習試合ならいざしらず、世界で一番の大舞台で繰り返される審判たちによるボーンヘッドの嵐。関係者たちは必死に「審判だって人間だ。人間のする事にはミスがつきものだ」と庇ったけれども、本来そのセリフはデメリットを被った側が発言すべき言葉だろう。

 そして、そんな誤審問題が、特に集中して降りかかったのが、ホスト国にしてアジア勢初のベスト4に進出した韓国絡みの試合であった。
 さてここで、それが暴言と受け取られるかもしれないという事を承知で、敢えて言う。
 一連の韓国絡みの試合で問題となった数多くのジャッジ、これらに“誤審・ミスジャッジ”という言葉を当てはめるのは間違っていると思うのだ。
 本来“誤審”とは、もっとランダムで、大きな偏りが無く、ミスであるという事以外に何ら他の意図が感じられないモノである。だが、韓国絡みの試合はその範疇を大きく逸脱していると言わざるを得ない。韓国が絡んだ試合で問題となったジャッジは、ほぼ全てが決定的な場面で発生したもので、それも全て韓国に極めて有利に働くジャッジであり、韓国チームを勝たせよう、または勝つためのヘルプをしようという意図すら感じさせるものであった。最早これは“誤審”ではない。それらは“不当判定・イリーガルジャッジ”と呼ばれるべきものである。

 まず今回の不当判定問題の発端となったのが、1次リーグ最終戦の韓国×ポルトガル戦であった。
 ただこの試合、駒木は不覚にも日頃の疲労蓄積が祟って、試合の全てを直接見届けたわけではない。そのため、以下の記述は伝聞や報道によるものが中心となる。もしもその内容に明らかな間違いがあった場合は、忌憚無く指摘して頂きたい。随時追記をしていこうと考えている。
 さて、この試合は前半でポルトガルに退場者が出たが、にも関わらず長い時間0−0の状態が続き、戦況は膠着状態となっていた。ところが後半、それもかなりの時間が経過したところで、ポルトガルは2人目のレッドカードによる退場者が出て、11人対9人となる事を強いられた。韓国に決勝点が入ったのはそれから間もなくの事だった。
 サッカーをよくご覧になる方ならご存知だろうが、サッカーで11人対9人になるという状況はかなり珍しいケースである。
 これは、退場者を出したチームの選手たちが2人目の退場者にならぬよう気を配る事もあるが、何よりも主審がかなり意識的にそういう事態を避けようと努力するからに他ならない。退場処分は個人に対する最終手段的なペナルティであり、それと同時に試合そのもののバランスを壊しかねない重大な判定である。そうそう濫発していいものではないのだ。ましてや2人目の退場処分となれば、尚更である。
 しかし実際にポルトガルは2人を失い、そして敗れた。9人でも時折チャンスを作ったりもしたが、ここまで人的な不利を被っては勝利は遠すぎた。
 そして勝った韓国は、1次リーグの勝ち点を7としてD組リーグを1位通過。逆にポルトガルは3位敗退となった。引き分けなら2位でリーグ通過となったポルトガルにとっては、まさに痛恨事と言っていい試合だった。

 とはいえ、この試合に関しては、その後の試合に比べると、不当ジャッジだと深く追求する声は少ない。
 あまり不平の声が上がらなかった理由としては、この試合で韓国が敗れていたとしても1次リーグを通過していた事をまず考えなくてはならないだろうし、それに加えて、ポルトガルの2人に対する退場処分が明らかに誤った判定であると指摘するには材料が乏しいという事が挙げられる。本当にレッドカードを出すほど重大な反則が犯されたのかどうかは別にして、確かに反則行為があった事は認められたからだ。
 それに、そもそもこの試合は、ホスト国が1次リーグ通過を賭けた試合であった。結果的に韓国は負けても救われる形になったが、戦前の予想では「負ければ即アウトに近い」とされていた事を見逃してはならない。

 これまでのW杯では、第1回以来、全てのホスト国がファースト・ラウンドを勝ち抜けている。
 これは勿論、これまでの開催国の大半が欧州と南米のサッカー強豪国に占められていた事や、全戦ホームで戦える有利さがあったも確かだ。だが、それより何より、「ホスト国は、出来る事なら1次リーグくらい通してやろう」という暗黙の了解めいたものが関係者の間に浸透していた事、これが殊のほか大きいのではないかと思われる。
 こう言うとオカルトっぽい印象を与えてしまうが、それは強豪国とバッティングし難いように設定されている組み合わせ抽選の方法からも窺う事が出来るし、実際にレフェリーの露骨な温情を貰って1次リーグを通過した、スペイン大会でのスペインのような前例だってある。
 箸にも棒にもかからないのなら仕方ないが、“あと一歩”という所まで来たのなら、さりげなく後押ししてやろう
……そういう意図めいたもの──それも公然の秘密に近い──が時々顔を出す。これもW杯の隠された一面である。敗れたポルトガル側が、全くと言っていいほど判定に対する不平を漏らさなかった事も、それなら納得がいく。

 さて、これを聞いて、皆さんはどう思われるだろうか?
 何とも言えない複雑な心境に至った方、「そんな事はあるはず無い!」と反発心を抱いた方、色々だろう。
 ただ、駒木はこの「ホスト国1次リーグ温情説」が事実だったとしても、別にサッカーやW杯に対して幻滅する事はない。当事者同士が納得しているのならば、それもまた良し、とさえ思う。
 これは駒木が競輪ファンであるという事も大きく作用しているのだと思う。競輪もまた、真剣勝負の中に地元選手を有利にしてやろうという暗黙の了解が働くスポーツである。レースの組み合わせも地元選手が若干有利になるように作為されるし、それを他地区の選手たちも尊重する。そしてその上で、「俺はプロだ。実力があれば勝てるはずだ」と、苦しい条件を跳ね返して正々堂々と1着を狙う。そこには人間の温かみと清々しさがある。その素晴らしさを駒木は知っている。そして恐らく、競輪選手たちと同じような境遇に身を置くサッカー関係者も同じ事を考えているはずだ。

 だから、ここで“全て”を終えていれば良かったのだ。
 そうすれば、「ホスト国1次リーグ通過のために、ちょっとだけやりすぎた例」が1つ増えるだけで、平穏無事にW杯は進行していったはずである。だが愚かしい事に、“全て”はここから始まってしまったのだ。
 競輪では、確かに地元選手有利のレースが組まれる。だが、地元選手を勝たせるために、他地区の選手を無かったはずの反則で失格にしたり、写真判定の結果を歪めて発表したりする事は無い。物事には、やって良い事と悪い事があるのである。

 しかし、その後の韓国の試合では、明らかにやってはいけない事、あってはならない事が起こってしまったのだ。

 …それではこれから、W杯72年間の歴史に残る汚点になるであろう幾つかの出来事、それについての話を進めてゆく事にする。
 
 決勝トーナメント1回戦・韓国×イタリア戦。
 会場やTVで試合を見守る我々の視界の中に、美形揃いのイタリア選手とは正に対照的な容姿の男が映りこんで来た。野球評論家のパンチョ伊東氏をスペイン系の顔にしたような小太りの男、それがこの試合の主審を務める、エクアドルのモレノ氏だった。
 試合開始のホイッスルを鳴らしてからの彼の行動は一貫していた。一貫して韓国寄りのジャッジを採り続けた。それは確実に、そして執拗に。
 ボールを持った韓国の選手が、イタリア選手と交錯して倒れる。すると、ほぼ必ずファウルの判定が下る。時には窮屈な胸ポケットからイエローカードも引っ張り出されたりもした。
 一方、イタリアの選手が韓国の選手に倒されても、なかなかホイッスルは鳴らされない。それが相当分かりやすいファウルでない限り、試合は韓国のインターセプトで続行された。イタリアの選手が臀部に足裏でタックルを受け、選手交代を強いられるほどの傷を負ったケースでも判定はノーファウルだった。
 それでも地力で圧倒的に勝るイタリアは、セットプレーから力ずくで1点をもぎ取り、自軍のゴールが脅かされても鉄壁の守備で得点を許さなかった。だが、長時間不当な逆境に置かれたツケは、最後の最後に回って来た。
 後半終了間際、ゴール前でDFが、普段では信じられないような連続のクリアミスを犯した。それを見逃すほど韓国の選手は無能ではない。ボールは静かに枠の中に飲み込まれていった。
 こうなれば、もう全ての流れは韓国のものだった。そりゃあそうだ。韓国は12人目のプレイヤーであるサポーターに加え、13人目の非常に頼れる男が、勝手に自軍に助太刀してくれたのだから。
 13人目の韓国プレイヤーによるトドメの一撃は延長戦に炸裂した。既にイエローカードを突きつけられていたイタリア・トッティのゴール前の転倒に対して、シミュレーションのイエローカード。つまりはレッドカードである。
 猛烈に異議を唱えるイタリアの選手たち。尋常ではない勢いだった。その激昂の理由はリプレーが映し出されて判明した。転倒したトッティは、確かに相手DFと接触して倒れていたからだ。ノーファウルならまだしも、これでシミュレーションは確かにおかしい。ましてやこんな重要な場面で退場処分を下されるほど悪質なプレイではない。
 このリプレーに対して、日本のTV中継の無能な解説者は「審判は良く観てますね」と放言していた。これに騙された視聴者も多かったはずだ。恥ずかしながら駒木も騙されかけた。試合終了直後、駒木に正しい指摘をしてくれたのは、一介のサッカーファンである友人だった。何から何まで滅茶苦茶な話である。
 これで11人、いや13人対10人。その後の結果は、もう言うまでもないだろう。

 …試合終了直後から、一部の地域を除く世界全土から怒りの声が巻き起こった。FIFAには数十万通の抗議メールが殺到し、サーバーをパンクさせた。欧米のマスコミも「スキャンダルだ」と書き立てた。マスコミ連が無邪気に「韓国快挙」と報じていた日本でも、水面下では、この試合における不当ジャッジと不当な結果について糾弾する声が次々と上がっていた。
 そして、どこからともなくこんな声が聞こえた。
 「次もあるぞ」
 ある人は「まさか」と思い、またある人は「だろうな」と思った。どちらにしろ、人々はただ目の前で起こる出来事を見守るしかなかった。

 それから4日が経った。その間、先の試合に対する批判の声は、強くなれど弱くなる事は無かった。
 そんな状況の中、数千万、いや数億の猜疑心に満ちた視線を浴びせられながら、準々決勝・韓国×スペイン戦がキックオフの時を迎えた。
 この試合に先立って、FIFAのプラッター会長は審判委員会に対して、「国籍に関係なく、有能な審判を起用するように」と異例の申し入れをしていたが、結局果たされなかった。各地域の審判委員が、「自地域から審判を」という地元エゴ丸出しの要求をゴリ押ししたと言われる。もしそれが真実だとすると、この試合は試合開始前に“終わって”しまっていた事になる。一体、誰のためのW杯なのだろうか。
 それでも試合は始まる。ゲームの主導権を握ったのは、やはり地力上位のスペイン代表チームだった。韓国イレブンも勿論健闘してはいたが、絶対的な実力差はどうにもならなかった。韓国はなかなかシュートすら打たせてもらえなかったが、スペインの攻撃は幾度となく韓国のゴール前に迫った。
 いや、実際にゴールネットを揺らす場面もあった。だが、本当にあったかどうか分からないようなファウルの判定によって取り消されてしまったのだ。リアルタイムでは“疑惑の判定”とは気付き辛い場面ではあったが、少なくとも延長戦で起こった出来事の予兆は既にあったという事になる。
 そして延長戦。ここに来て、これまでナリを潜めていた線審たちが突如としてスペイン代表に牙を剥き始めた。スペインが作った決定的チャンスやゴールが、次々とたった1本の小旗によってリセットされてゆく。ゴールデンゴール方式の延長戦で、少なくとも2回の決定的チャンスが取り消される異常事態。スペイン代表の監督と選手たちは、まず落胆し、それから猛烈に怒った。しかし、試合の結果だけはどうにも動かしようがなかった。
 気が付けば、勝負はPK合戦に委ねられていた。本当に馬鹿げた試合になってしまった。
 そして馬鹿げた試合のケリをつけたのは、やはり馬鹿げたレフェリングだった。
 PK合戦、スペインの4本目。ボールを蹴るまでゴールライン上から前に出てはいけないはずのゴールキーパーがスルスルと前へ歩み出て、シュートを弾いた。一部始終を見ていたはずの主審は、何事も無かったように試合を進行させた。韓国の“記録上の”勝ちが決まったのはそれから間もなくしての事だった。
 
 試合終了と同時に、スペインの監督と選手たちが次々と審判に詰め寄った。彼らの表情は怒りを通り越して悲しみに満ちていた。実際、控え室に戻ってから号泣した選手もいたらしい。そう、まさにこれは悲劇だった。
 そして、その映像が全世界に流れた直後から、またしても世界中から怒りの声が沸き上がった。起こっている事が誤審以上の何かであることは、もう疑いようが無かった。イギリスのマスコミなどは、「これは陰謀である」とまで書き綴った。たった2、3の試合によって、W杯の意義と価値が否定されそうになるという、大変な所にまで事態は進展していようとしていた。こんな重大事をまともに採り上げようともしなかったのは韓・日・中のマスコミくらいである。(追記6/30:中国のマスコミは、韓国から抗議受けるくらい激しく誤審報道をしていたそうです

 そんな不穏な空気の中、FIFAもようやく本気で強権発動の決意をし、来るべきドイツ×韓国戦の審判を、ヨーロッパの実力あるベテラン審判で固める事に決めた。審判は中立地域から、という原則を曲げてまでの特別措置。どこまで問題が重大化していたか、これだけとってみてもよく分かる。
 この特別措置が英断であったのは冒頭で述べた通りである。本当にギリギリの所で、W杯はW杯である事を許されたのだ。

 こうして、この不正ジャッジ騒動は一応の収拾を見た。真相解明の動きは大会終了後、徐々に始まり、そして恐らく全てが明らかになる事なく沙汰闇になるのであろうが、ここでも推測程度だが、一連の不正ジャッジについての分析をしておこう。
 まずポイントとなるのは、この不正ジャッジが、何らかの圧力によって審判たちに強要されたものであるかどうかであろう。ただ正直言って、その可能性は低いのではないかと思っている。少なくとも、韓国代表の現場サイドから買収などのオファーは無かった(と信じたい)。もしあったとするならば、背広組の最上層部、ドイツ戦の審判たちにすらイチャモンをつけたあの連中だろうと思われる。
 それよりも可能性が高いのは、買収のような直接的な圧力ではなく、FIFAや審判委員会の内部で、「なんとなく韓国有利にジャッジをしなければならない雰囲気」が、やはり韓国サッカー界の最上層部によって形成されていたというケースだ。これだと直接手を下さなくても、「ここで韓国サイドの心証を悪くするのは得策ではない」と審判たちやその上司たちに判断させるだけでいい。何しろ韓国はFIFAの副代表を擁するサッカー“政治”大国である。権力のある者が無い者を意のままに操る事の容易さは、我が日本の政治家と官僚の癒着構造を見れば一目瞭然だ。

 ……だが、これらはあくまでも推測である。必要以上に根拠の無い事を述べ立てるのは、もうこれ以上は控えておくことにする。

 とにかくこれは悲劇であった。本来なら正々堂々と勝負を挑んでいった韓国代表の選手たちは同情されるべき存在だったのかもしれない。だが、残念ながらそうはならなかった。少なくとも日本のサッカーファンの多くは韓国代表に憎しみにも似た感情すら抱いた。それは何故か?
 それは彼らが“外から与えられた勝利”に対して余りにも無邪気に喜びすぎた事が1つ。そして彼らを取り巻く環境、特に韓国サポーターと韓・日のマスコミの態度が非常に劣悪だったことがもう1つだ。
 日本のサッカーファンたちは、不正ジャッジ問題で大変なストレスを溜め込んだところへ、現実とあまりに乖離した一方的な韓国代表賛美を見せ付けられたのである。そこで辛抱が利くほど人間の心は出来が良くはない。坊主憎けりゃ袈裟まで…ではないが、怒りのベクトルは韓国代表チームに対して向けられるようになってしまった。

 では、日本の、そして世界のサッカーファンを憤慨させた韓国サポーターとマスコミの劣悪な姿は、果たしてどのようなものだったのだろうか?
 それでは以下から、この件についてもしばらくの間述べていく事にする。


 申し訳ありませんが、余りにも長文になりすぎ、講義1日分のスペースでは収まりきらなくなってしまいました。続きは日曜日にお送りする事にさせてもらいます。(続編に続く

 


 

6月27日(木) 演習(ゼミ)
「現代マンガ時評」(6月第4週分)

 さて、今週もゼミの始まりなのですが……。

 困りました。レビュー対象作がありません(苦笑)。
 なんと、「ジャンプ」と「サンデー」からはレビュー対象作が無しという事態に……。
 一応「ジャンプ」には、『ピューと吹く! ジャガー』の代原として、『しゅるるるシュールマン』がまた今週も載ってるんですが、先週お知らせした通り、今回からこの作品はレビューの対象から外す事にしましたのでレビューしません。

 ただ、先週予告しました通り、「週刊コミックバンチ」で、あの「世界漫画愛読者大賞」グランプリ受賞作『エンカウンター〜遭遇〜』の連載が始まりましたので、そちらのレビューを行いたいと思います。

 …と、いうわけで、たった1作品のレビューとなりましたが、事情が事情ですので、どうぞご理解下さい。

 さて、まずは情報系の話題を少しだけ。
 先週のゼミでも少しだけ関連情報をお知らせしましたが、今週発売の「週刊少年サンデー」30号で、『KUNIE』作画:ゆうきまさみ)と、『どりる』作画:石川優吾)の2作品が同時打ち切り最終回となりました。
 これに関して、ゆうきまさみさんが公式ウェブサイトで、「一敗地にまみれて」という、そのまんまの(笑)題名のコラムを発表しています。(情報提供:最後通牒・半分版さん)
 コラムの全文はリンク先を参照して頂きたいのですが、思い切り話の風呂敷を広げたところで打ち切りが決まってしまい、伏線も何もかも放棄して終わらせざるを得なくなってしまったようです。まさに「志半ばで…」と、いったところでしょうか。
 しかし、何気なく書かれたコメント、「長いことやってると、こんなこともあるですね」。これ、非常に贅沢な一言だと思えるのは駒木だけでしょうか?
 まぁ、ゆうきさんは個人的には大好きな作家さんですので、次回作を期待して待ちたいと思います。

 また、終了した2作品の穴埋めですが、これは来週から5週連続で読み切りシリーズが始まると予告されておりました。ですので、新連載が始まるにしてもその後という事になりそうです。

 ……さて、それでは今週のレビューへ。1作品だけですが、全力で頑張ります。文中の7段階評価はこちらをどうぞ。

 《その他、今週の注目作》

 ◎『エンカウンター〜遭遇〜』(週刊コミックバンチ2002年29号掲載/作画:木之花さくや)

 もはやこの社会学講座とは切っても切れない関係となりました、この作品。第1回「世界漫画愛読者大賞」のグランプリ受賞作が、連載作品となって「バンチ」に再登場となりました。

 作者の木之花さくやさんのプロフィールと、「世界漫画愛読者大賞」エントリー作品となった、同名の読み切り作品の内容等については、3月13日付ゼミのレジュメを参照して下さい。

 さて、早速内容についてお話してゆきましょう。
 まず絵柄に関しては、特に問題は無いでしょう。さすがに長年キャリアを積まれて、連載も随分こなされている方だけあって、しっかりとした作画になっていると思います。ただ、いしかわじゅん氏に言わせると、「あんまり上手いとは思わない」だそうですが(笑)。

 そして次に、問題のストーリーです。読み切り掲載時は、話作りの基本がなっていなくてシナリオが破綻しまくっていたわけですが、果たして仕切り直しとなった今回はどうでしょうか?

 さて、もう結論から先に言ってしまいますが、「とりあえずはマズマズのスタートを切ったな」というところです。
 まず冒頭の巻頭カラーで、百年戦争の時代のイングランド人がインダス川流域で遺跡を発見して云々、という歴史的考証メチャクチャなクダリを見た時は果たしてどうなってしまうのやらと思いましたが、本編に入ってからは、読み切りの時のような無茶で強引なストーリー展開は影を潜め、かなり読み進め易い作品にはなっていました。
 そうなった理由としては、前回は1回で1つのエピソードを無理矢理決着させなければならなかったのに対して、今回は1年以上の連載と言うことで、じっくりとストーリーを展開させていけるという“ゆとり”があるからではないか、と思っています。恐らく、単行本1冊分で1つのエピソードを終わらせよう……などといった、ベテラン作家さんらしい構想があったりするのでしょう。
 ただ、これは逆に言えば、まだキッチリとした評価を下す事が出来るところまでストーリーが進んでいない、とも言えると思います。実際、この第1回は伏線を張るだけ張りまくっただけ、という感もあり、この伏線をどう収拾していくかを見届けないと、この作品の良否を判断するわけにはいかないような気がします。
 何しろこの作品には、読み切りの時に話を破綻させた“前科”があります。さらに今回でも、地下鉄の駅に入るだけで“電気酔い”のためにフラフラになっていた主人公が、その後には平気な顔して同じ地下鉄の線路を歩き回ってる…という矛盾をやらかしています。こんな事が他の伏線を処理する時に起こってしまったりすると、もう目もあてられぬ悲惨な事態に陥ってしまうでしょう。
 ですから、今回の評価は保留もう2〜3回様子を見て、いくつかの伏線を消化したところまで話がすすんでから、改めて評価を下したいと思います。

 あ、あと気になった点がもう1つ。
 この作品、新連載第1回ながら、ストーリー自体は読み切りの続きという事になっています。つまり、3ヶ月以上前に掲載された読み切りを、今の読者が読んでいる事が前提になっているわけです。これはちょっと不親切が過ぎると思うのですが、どうでしょうか? 
 駒木は当然の事ながら、読み切りを読んでいて、ストーリーも設定もほぼ頭に入っていますからスムーズに読めました。しかし、そうじゃない人(今回初見の人)にとっては、ひょっとしたら何もかもがチンプンカンプンだったのではないかと心配になってしまいます。
 何だか揚げ足取りみたいでアレなんですが、ちょっと気になったもので……。

 

 ……というわけで、唯一のレビューが評価保留という締まらない形になってしまいましたが、それも正確な評価を下すためですので、どうぞご理解ください。

 それではまた来週。来週は「ジャンプ」も「サンデー」も読み切りが掲載されますので、そちらのレビューが中心になると思います。 

 


 

6月25日(火) 文化人類学
「ネイサンズ国際ホットドッグ早食い選手権展望」

 今日は約2ヶ月半ぶりの文化人類学講義になります。

 ではまず初めに、“ちゆインパクト”後に受講されるようになった方のために、当社会学講座の文化人類学講義について説明しておきましょう。

 当講座では文化人類学の一貫として、フードファイト(大食い、早食い、早飲み)を研究対象にしています
 講義を実施するのは、主にTVでフードファイトの競技会が放映された時で、その内容はTV観戦レポート選手たちの戦い振りに関しての考察、さらには「フードファイター・フリーハンデ」のような選手たちの能力分析などです。
 また、研究に際しては「フードファイトは新種の競技スポーツである」という独自のスタンスをとっております。この点に関しては、ひょっとすると受講生の皆さんの認識と異なる部分があるかもしれませんが、講義を受講される中で幾らかでもご理解頂ければと思います。
 説明は以上です。

 ……では、説明が終わったところで、さっそく本題に移りましょう。
 毎年、アメリカの独立記念日である7月4日にニューヨークのホットドッグ店「ネイサンズ」では国際ホットドッグ早食い選手権が行われます。
 この選手権、詳しい概要に関しては後でまた紹介しますが、一言で表現するならば“世界最大規模の国際フードファイト競技会”という事になります。ホスト国アメリカは勿論のこと、イギリス、ドイツ、カナダ、そして世界一のフードファイト大国・日本などから各国・地区の予選を勝ち抜いた猛者たちが集結し、12分間でネイサンズのホットドッグをどれだけ食べられるかを競います。
 そして、その模様は毎年、アメリカの大手ニュースチャンネル・CNNを通じて全米及び世界各地へ配信されます。そのため、普段はフードファイトに全く無関心である日本の一般マスコミですら、この競技会の結果は結構な扱いで報道されたりします。W杯サッカーでアメリカがベスト8に進出したニュースすら1分足らずで済ませてしまうCNNですが、この国際ホットドッグ早食い選手権に関しては、ウェブサイトでも動画ニュースが配信されるくらい大きく扱ってくれますCNNではW杯サッカーよりもホットドッグ早食いの方が格上なのです。フードファイト愛好家としては、嬉しい反面、果たして世の中それでいいのかと思ってしまったりもするのが、この競技会なのです。

 さて我が日本では、今年の春に発覚した痛ましい事故のために、現在フードファイト業界は沈滞気味であります。が、当然の事ながら海を隔てたアメリカ合衆国ではそんな影響など微塵も無く、今年も7月4日に選手権が実施されます
 そしてその選手権には、昨年驚異的な大会レコードで初優勝を果たした日本代表の小林尊選手が、今年もまた優勝最有力候補として出場します。諸般の事情により、TV局による特番放映はありませんが、それでもCNNを通じて我々の前に雄姿を見せてくれる事でしょう。

 そこで今回の講義は、このネイサンズ・国際ホットドッグ早食い選手権について採り上げ、また、大会直前の展望をお送りしたいと思います。

 ……それではまず、このネイサンズ・国際ホットドッグ早食い選手権(以下:ネイサンズ選手権と略します)とは、どのような競技会か、というところからお話をしてゆきましょう。

 このネイサンズ選手権は、世界中に現存するフードファイト競技会の中で最古、もしくはそれに近いものと思われる非常に長い歴史を持っています。
 第1回のネイサンズ選手権が開かれたのは、アメリカが第一次世界大戦に参戦する直前(第一次大戦そのものは1914年に開戦)の、1916年の独立記念日・7月4日のことでした。また、会場であるネイサンズも、この年に1号店が開店しています。
 当時の参加者はわずかに4名。それも全てがヨーロッパ系移民1世でした。その選手権開催の趣旨は、時勢を反映して“アメリカ生まれの食べ物であるホットドッグを食べる事で、ヨーロッパ系移民たちのアメリカに対する愛国心をアピールするため”というもの。つまりは「愛国心ナンバーワン決定戦」だったというわけです。今となっては信じられませんが、アメリカのフードファイト史は、多分に民族的・政治的な問題の影響を受けてスタートしたことになります。
 そしてこの第1回大会が好評だったのか、これ以後、ネイサンズでは毎年独立記念日にホットドッグの早食い選手権を実施するようになりました
 それから現在に至るまで、選手権の開催が行われなかったのは、第二次世界大戦の激化に抗議するため中止された1941年と、国内の社会不安などに抗議するために中止された1971年の、わずかに2回だけ。驚くべき事に、それ以外の年は戦時中だろうが世界恐慌の真っ只中だろうが開催されていた事になります。それを考えると、そりゃ日本も戦争で勝てるはず無いわな、と思ってしまいますよね。日本では食料の配給が滞って芋の蔓とか食ってる頃に、アメリカではホットドッグの早食いやってるわけですから、こりゃあ話になりません。
 それに、よく考えれば今年も全米同時多発テロの9ヵ月後であり、対アルカイダ戦争の余波がまだくすぶっている段階。これが日本ならば、ほぼ間違いなく自粛しているような状況でしょう。そんな中でも開催できるというのは、アメリカという国の大らかさに加えて、もともとこの選手権が「愛国心ナンバーワン決定戦」という趣旨を持っていたためだと思われます。
 もっとも、随分前から愛国心丸出しの国家発揚イベントという性格は薄れていて、今では一種のお祭り的なフードファイト・イベントという認識を持たれています。海外から代表選手を招くのもそういうわけでしょうね。

 ところで、現在のネイサンズ選手権は、IFOCE(国際大食い競技連盟)なる団体が運営しています。
 この団体は、かつてネイサンズ選手権で活躍した元選手らによって結成されたアメリカ最大手のフードファイト団体で、さらにその会員として、全米各地及び各国のフードファイト競技会主催者が加盟しています。ちなみに、日本は「TVチャンピオン・大食い選手権」を主催しているテレビ東京のみが会員として名を連ねています。
 そしてネイサンズ選手権は、このIFOCEが運営するフードファイト競技会の中で唯一の国際競技会であり、それゆえに格別のグレードを誇っています。一応の大会参加資格は18歳以上というだけですが、実際に本大会に出場するためにはIFOCEやその会員が主催する、全米15箇所と英・独・加・日4カ国で行われる予選を勝ち抜いて代表枠を確保しなければなりません(前年度優勝者は予選が免除されて無条件で出場。その他にもIFOCE推薦枠が存在するようです)

 さて、このネイサンズ選手権ですが、ここ数年はホスト国アメリカを日本勢が圧倒する状況が続いています。
 一説によると、日本人選手は1980年代の後半からネイサンズ選手権に出場していて、7年連続で日本勢が優勝するなどの大活躍していたとも言われていますが、詳しい事はよく分かりません。ある意味、神話のような話ですね。(追記:1986年に富永弘明氏が優勝し、フジTVの番組で放送されたという事実が判明しました。ただし、他の年の大会については依然として不明です)
 日本でテレビ東京主催による予選が行われ、正確な記録が残されるようになったのは1997年から。この年、日本は3つの本戦出場枠を与えられ、中嶋広文・新井和響・村野達郎の3選手が日本代表として選出されました。そして本大会では、中嶋広文選手が、ホットドッグのパンとソーセージを別々に食べる“東京スタイル”を駆使し、12分間でホットドッグ24本1/2という世界レコードを樹立して優勝新井和響選手も24本で準優勝を果たし、日本勢の見事なワン・ツーフィニッシュとなりました。今から考えると、この年の選手権は、フードファイト大国・日本の原点となるものだったと言えるでしょう。
 しかしこの大会後、中嶋選手とテレビ東京の間でトラブルがあり、両者がほぼ絶縁状態になるという最悪の事態となりました。その結果、中嶋選手はディフェンディング・チャンピオンとしてネイサンズ選手権に翌年以降も出場する一方で、彼が出場する以上はTV画面に彼の姿を映さなければならないテレビ東京は大会参加をボイコットすることに。中嶋選手が98年に二連覇を達成した後、99年にアメリカ人選手に敗れて(準優勝)現役を引退するまでの2年間、この憂慮すべき状況が続く事となりました。
 中嶋選手の現役引退に伴い、テレビ東京による日本予選が再開されたのが2000年です。この年も日本は代表枠3を与えられ、3年前の準優勝者にして「TVチャンピオン」早食い選手権者だった新井和響、さらに藤田操赤阪尊子を加えた、日本フードファイト界を代表する3選手が本大会出場を果たしました
 そして本大会では新井和響選手25本1/8の新記録で悲願の初優勝。残る日本勢2人も、藤田操選手が準優勝で赤阪尊子選手が3位と、日本人選手が表彰台を独占するという慶事となりました。まさに空前絶後の大偉業と言えましょう。
 その翌年、2001年の日本代表枠は前年度優勝の新井選手を含めて2つ。代表枠削減の理由は不明ですが、駒木個人の推測としては、前年の表彰台独占のような事態が続くとホスト国アメリカの立場が無いので、日本に“遠慮”をしてもらったのではないかと思っています。
 この年の日本代表は、新井選手と、前年末にデビューして以来、国内メジャータイトルを総ナメにしていたスーパールーキー・小林尊選手。特に、デビュー以来無敗の快進撃を続ける小林選手の戦い振りに注目が集まりました
 そんな注目を集めた本大会で、我々は信じられない光景を目にする事になりました。
 それは、これまでの常識を根底から覆すような小林選手のビッグ・パフォーマンス。前年に新井選手が樹立したばかりのレコード・25本1/8を前半の5分でアッサリと更新するや、とうとう最後は
50本まで記録を伸ばしてしまったのです。新井選手も王者の意地を見せて記録を伸ばすも31本まで。新世紀に相応しい豪快な王座交代劇となったのでした。

 ……と、こんな歴史を歩んできたネイサンズ選手権。今年は第85回大会となります。それでは今回の日本代表選考状況と本大会展望をお送りします
 まず国内代表の選考についてですが、今年も例年通り、テレビ東京による国内予選が実施される予定でした。しかしこれが諸般の事情により中止となり、代表枠を返上することとなりました。
 そういうわけで、一時は代表派遣そのものも危ぶまれたのですが、今年設立された日本初のフードファイト選手プロダクション・FFAのバックアップにより、前年度チャンピオンの小林尊選手が無事出場できることとなりました。また、FFAサイドは、FFAの主力選手である高橋信也選手のIFOCE推薦枠での出場も要請。IFOCEはこれを一旦は許可したのですが、IFOCE側が会員であるテレビ東京との関係を考慮したのか、後に高橋選手の出場許可を撤回してしまいました。というわけで、残念ながら今年の日本代表は小林選手ただ1人という事になります。
 随分と手薄になってしまった日本勢ですが、だからといって、フードファイト大国・日本の牙城は揺らぐ事はありません。ここ最近、保持していた国内主要タイトルを失うなど、その栄光に若干の翳りが見えてきた小林選手ですが、外国勢との実力差は歴然としています。余程のアクシデントや有力新人選手の登場が無い限りはV2の可能性が極めて濃厚でしょう。むしろ焦点は、昨年樹立された12分間50本という超人クラスのレコードを更新できるかどうか。日本のフードファイトのレヴェルはこの1年で飛躍的な向上を遂げていますから、おそらく今年もとんでもない記録が生まれるのではないかと思われます。

 そんな注目の第85回ネイサンズ・国際ホットドッグ早食い選手権は、現地時間の7月4日正午、日本時間の7月5日未明に行われます。恐らく日本では7月5日の午前中にはCNN経由で結果と映像が見られることになると思いますので、受講生の皆さんも注目してください。

 それでは、予想外に長くなりましたが講義を終わります。(この項終わり)

 


 

6月24日(月) 教育実習事後指導(教職課程)
「教育実習生の内部実態」(5)

 すっかり間延びした展開で失礼しております。ついに5回目に突入してしまいました。出来れば7月早々には決着させたいと思っております。

 これまでのレジュメはこちらから↓
 第1回第2回第3回第4回

 さて、今日は実習生控え室でのお話をしてみたいと思います。

 実習生は学校内では、原則的に現役教員に準じる扱いを受けます。朝の職員朝礼にはキチンと出席しなければなりませんし、授業が全て終わっても、俊足の帰宅部の生徒のように、チャイムが鳴り終わる頃には校門の外、というわけにはいきません。職員室には実習生用の出勤簿まで用意されていて、キチンと毎日捺印しなければなりません。実習期間中は、特別な事情が無い限り、ちゃんと8時間働くまで校内にいなければならないのです。
(実は駒木はその“特別な事情”により、教育実習で“半休”を頂いた事がありますが、それはまた次回か次々回にて述べることにします)

 ただし当然の事ながら、職員室に実習生の机はありません。実習生は、控え室と称される部屋を全員で1つ与えられ、そこで授業準備などの雑務をこなす事になります。
 控え室には、大抵は小会議室などが割り振られるようですが、駒木が実習した時は何故か進路指導室が控え室に使われました。我が母校は、生徒の3/4以上が漫然と大学を目指し(しかもその過半数は浪人する漫然さ!)残りの1/4は自分で専門学校をチョイスするような学校でしたので、進路指導はさほど重要なセクションでなかったのですが、それにしてもその間の進路指導はどうするのだろうかと不思議に思ったものです。

 さて、その進路指導室ですが、大体カラオケボックスのパーティルームくらいの中途半端な広さでありました。そこへ長机とパイプ椅子を人数分入れて緊急の控え室を作り上げます。
 まぁ、それはいいんですが。しかし、駒木が実習をした年は総勢20人と言う大所帯でしたので、進路指導室は隙間無く机と椅子に埋め尽くされた、まるで映画に登場するマフィアの幹部会のような妙な密集隊形になってしまいました。ビートたけしがいたら、「ファッキンジャップくらい分かるんだよ」とか言いながら発砲しそうな感じです。これで男子校だったら目も当てられない惨状でしたが、このシリーズの第2回で述べました通り、駒木の実習の時は男女構成が2:18という、バブル景気時代の不動産屋が来店した六本木キャバクラのVIPシート状態でした。
 それはもう“両手に花”どころではありません。特に駒木は何故か上座の中央を確保してしまいましたので、両翼に花のショットガンフォーメーションを引き連れるクォーターバックのような壮観となりました。ましてや、近くの女子実習生が胸元の開いた服などを着てきた日には、マンガ『プリティフェイス』の主人公・乱堂政よろしく頭がクラクラしたものです。
 …………あ、なんだか、男子校で実習した方から、スペイン人とイタリア人から韓国人に対するような怨念と殺気が発せられるのを感じましたので、これ以上は止めておきましょう…。

 ただ、言っておきます。男女比は確かにキャバクラ状態でした。女子実習生は揃って美人でもありました。が、当然の事ながら女子実習生はキャバクラ嬢ではありません。日本国内で最も男女同権と言われる職業・公立学校教諭を目指す、勇ましい女性達であります。

 ──そう、そこはまさに女の世界でありました。
 和気藹々とした空気の中でも、確かにアイデンティティがぶつかり合い、共鳴し、火花を散らす、そんな場のムードであります。
 そう、それはまさにドラマ『ショムニ』のような光景でありました。しかも女子実習生は18人いますから、江角マキコ演じる坪井千夏率いる庶務二課が、およそ3セットいる計算になります。
 皆さんはどう思われますか? 江角マキコと戸田恵子が3人ずついる職場アンパンマンの声がいつでも聞けて便利、などと言ってる場合ではありませんぞ。
 まぁ、駒木は1浪していた上に塾講師経験者だったために他の実習生からは一目置かれていましたし、同じ世界史の実習生Gさんが、容姿・行動共に京野ことみ演ずる塚原佐和子そっくりだったということもあって、まるで石黒賢演ずる右京友弘のような気分でいられました。しかし、もう1人の男子実習生、現役組で気弱なK君などは、まるで森本レオ演じる課長さんのように肩をすくめっ放しの日々を送るハメになってしまいました。彼が2週間、控え室でロクに喋る機会が無かったことを今更ながらに思い出します。

 ところで受講生の皆さんは、「よく、そんなに細かく役柄を当てはめられるなあ」とお思いかもしれません。しかし、答えは簡単です。実習中、ずっと「この人はどのキャラか?」と考えっ放しだったのです。
 この娘は坪井千夏、この娘は徳永あずさ(戸田恵子)、で、この性格キッツイ娘は杉田美園(戸田菜穂演ずる秘書課リーダー)……などといった具合。これは言ってみれば、実習中の密かな楽しみでありました。
 しかし、この作業をやっていて困った事がありました。適役になる実習生が見当たらない配役があったのです。

 それは、宮下佳奈。ドラマでは櫻井敦子が演じた、大人の女の色気をパチスロのモーニングサービスの様に大放出する、“フェロモン女王”というキャラクターです。
 まぁ、色気振りまきまくりの実習生、というのもフランス書院文庫みたいな話でアレですから、それはそれでいいのですが、なんだか画竜点睛を欠くような感が否めませんでした。

 ん〜、残念だなあ。あと一息なのに……
 とまぁ、そうやって人知れずにちょっと落胆していた駒木でありました。
 が、しかし。
 間もなくしてその落胆は驚きに変わりました。

 ……それは実習期間を半ばも過ぎた時に催された、恩師を交えたプチ同窓会の席でした。会場は、せっかく全員成人したのだからと居酒屋となりました。
 参加したメンバーは、先生数名に加えて駒木と同期の女子実習生が5名ほど、といった構成。メンバーの中に坪井千夏型や徳永あずさ型が混じっていたこともあり、宴はあっという間にたけなわになってゆきました。
 が、その中で、控えめにビールが注がれたグラスを静かに傾ける女子実習生が1人実習生控え室でも終始無口で大人しくしていたCさんでした。彼女は、駒木が『ショムニ』の配役をあてはめようとしても上手く出来なかった数少ない実習生でもありました。
 あー、この娘、こんな時でも大人しいんだなあ…などと思った、その時です。
 Cさんは、ふと思い立ったように、おもむろにハンドバッグを取り上げると、その中からシガーケースを取り出し、1本のタバコを口に運びました。そして、ニコッと大人の笑みを浮かべて一言。
 「……すいません。火、貸していただけます?」
 その瞬間、確かにフェロモンが居酒屋中に充満するのを感じました。
 それが、配役コンプリートの瞬間でありました。
 

 ──さて、いかがだったでしょうか? 受講生の方で教育実習を経験された事のある方はどんな控え室の雰囲気だったのか、また談話室でお話を聞きたいと思います。
 では、次回はいよいよ実習の根幹、授業実習についてのお話をしてみたいと思います。(次回へ続く) 

 


 

6月23日(日) 文献講読(小説)
『夏、雲ひとつ無い夜に─』(4・最終回)

※この講義は小説です※

 第1回はこちら、第2回はこちら、第3回はこちらから。

 「──おぉ、お疲れさん」
 シツレイシマス、という裏返った声と共に監督室に入って来た中林を、その部屋の主はそんな言葉で迎え入れた。
 穏やかで気さくな印象を与える一方で、いざとなれば有無を言わせぬだけの威厳をも含んだ低い声。
 そして、白髪混じりの短髪に覆われた、やや浅黒い小皺だらけのその顔も、見る人に声の持つそれと同じ印象を与えることだろう。普段は人懐っこい柔和な表情をしているが、そのベースには、確かにえも言われぬ迫力が秘められている。
 「まぁ、もうちょっと楽にせえや」
 監督は、いかにも管理職が使うような大きなデスクに着席したまま、少し関西弁交じりのイントネーションで中林に語りかけた。一般企業で言えば、「社長室にやって来た平社員の図」、ということになるのだろう。
 確かに中林はガチガチに緊張していた。まるで儀式でVIPを待ち構える自衛隊員のような姿勢でデスクの前に立ち尽くしていた。
 楽にせえ、と言われても無理な話だった。監督と話をするのは入団以来3回目くらいだったし、一対一でとなると初めての事になる。それに加えて、今回は呼ばれた要件が要件だということもある。
 いつまで経っても“気をつけ”の姿勢を解こうとしない中林を見て、監督は失笑と微笑の中間のような笑みを浮かべ、それからおもむろに口を開いた。
 「3週間、お疲れさん。どうやった? 一軍の現場は?」
 「あ、はい──」
 返事をした後、息を思いっきり吸い込んでいまい、むせかえりそうになりながら、中林はなんとか言葉を繋げた。
 「とても楽しかったです……あ、いや、こんな風に言っちゃいけないのかも知れないっすけど、何て言うか…、プロに入ってこんなに野球が楽しいと思えたことなんて無かったです。出来る事なら、ずっと一軍にいたいと思いました!」
 緊張の余り、自分でも何を言ってるか分からないまま、まくし立てていた。一番最後の部分は、そんな中で発した、今の彼なりのせめてもの抵抗だった。
 中林が話しているの言葉に、監督は眉一つ動かさず耳を傾けて、それからまた、おもむろに口を開いた。
 「そうか。そう言ってもらえると、こっちとしても一軍に呼んだ甲斐があったっちゅうもんや──」
 監督はそこまで言った後で一瞬間を開け、少しだけ表情を硬くして続きを口にした。
 「──けど、悪いな。お前には明日、二軍に戻ってもらわんといかん」
 中林にとって、それは予想されていた言葉だった。
 しかし、いざ本当に言われてしまうと、やはりショックはとてつもなく大きかった。目の前が真っ暗になるという感覚を、中林は初めて体験した。刑の執行を宣告された死刑囚もこんな気分なんだろうな、とショート寸前の頭で中林は思った。
 「まぁ、そんな世界が終わったような顔するな。お前が二軍に戻るのは3週間前から決まってたやろうが」
 「──え?」
 監督の言葉に対して、中林の口から思わず声が漏れた。一瞬で正気を取り戻すような一言だった。
 「なんや、何も聞いてなかったんか?」
 「あ、いえ──」
 中林は3週間前、彼の一軍昇格を告げた時に二軍監督が言った言葉を思い出した。
 「……そういえば、『3週間勉強して来い』って言われたような気がします」
 それを聞いて、監督は途端に怪訝な顔をした。
 「あぁ? なんやアイツ、そんな言い方しとったんか。困ったヤツやなぁ」
 そう言った後、今度は表情を柔和なものに戻して、中林に語りかけた。
 「まぁええわ。誤解の無いように説明しとこか。ケガ人が出て1人入れ替えると決まった時に、俺から注文出したんや。戦力の補充はせんでええから、とりあえず夏場の長期遠征でも夏バテせえへんようなイキのええ若いヤツを1人よこしてくれ、とな。試合の方は代走か守備固めくらいで使えるだけで構わんから、目一杯ベンチのムードを盛り上げてくれそうなヤツがおったら、是非よこしてくれ。そう頼んだんや」
 ──おい、なんだよ、それ……
 想像もしていなかった真実。それを知って、中林は全身の力が抜けていくのを感じた。
 ──それってなんだよ、俺は初めから全く期待されてなかったってことかよ。なんだよ、バカみてぇじゃん。勝手に1人で気合入れて試合でハリキったりして、アウトになりかけて、何度も頭から滑り込んでユニフォームドロドロに汚して……。何やってたんだ、俺。何バカやってたんだよ、俺は……
 ネガティブな感情の嵐が一気に押し寄せてきた。涙腺が刺激される。目から熱いものがこぼれ落ちそうになるのを、中林は必死にこらえた。
 そんな中林の気持ちを知ってか知らずか。監督の話は続いていた。
 「──まぁ、事情を知らんかったんやとしたら、悪い事したな。でもまぁ、これもプロの世界の厳しさやと思って諦めてくれ。お前もプロの端くれやったら、その辺は分かるやろ?」
 「………ハイ」
 中林は、かすれた声でそう答えるのが精一杯だった。
 それから監督の話は、中林が明日するべきことについて、ということに移った。遠征の疲れがあるだろうから明日の午前中一杯まではゆっくり休んで、二軍宿舎に戻ってからも午後の練習は出なくていいということ。分かっているだろうが、帰る前にちゃんと然るべき所に挨拶は済ませておくこと。一軍選手に支給されたバットで、感覚が合わないという理由で使われない物があるから、よかったら持って帰っていいということ。監督も、こういう形で二軍に戻ってゆく中林を気の毒に思っていたのだろうか、かなり微に入り細に入り、といったアドバイスになった。しかし、当の中林はそれをまともに聞ける心境ではなかった。心がこもった風に聞こえる生返事をしながら、もうこうなったら早くこんな息苦しい場から出てしまいたいと思っていた。
 「──まぁ、そんな感じやな。気をつけて帰れよ」
 「ハイ。ありがとうございます」
 やっと終わったか、という心の声を飲み込んで、中林は「それでは失礼します」と言ってその場を辞そうとした。が、中林が「そ」を口に出す瞬間、監督の方から再び口を開いた。
 「ところで中林、ちょっと訊きたいことがあるんやけどな」
 「ハイ?」
 「お前、正直に言ってみ。今日、試合に出たあの場面、何かやろうと狙っとったやろ?」
 20年選手をも萎縮させると言われる、監督の静かな迫力に満ちた声。中林は背筋が凍りつくのを感じた。
 「あ…いえ……」
 二の句が、接げない。
 「俺もこの世界でメシ食ってもうすぐ40年になるけどな。あんな景気悪い顔で決勝のホーム踏んだヤツは初めて見たぞ」
 そう言って、監督はニヤリと笑った。しかし、目は笑っていなかった。
 緊張と恐怖で冷や汗すら引いてしまいそうな状況の中、中林はポツリと呟いた。いざ喋る段になると本音が出てしまう彼らしい言葉になった。
 「……ハイ、狙ってました」
 言った瞬間に「マズいな」と思った。チームプレーを無視したことを認めたことになるからだ。しかし、もう仕方ない、どうせ二軍に落ちる身だと、中林は腹を括った。
 だが、彼の耳に飛び込んできたのは怒鳴り声ではなくて笑い声だった。
 ガッハッハー、という豪快な笑い声の後、監督は困ったような嬉しいような複雑な顔で「おい、お前なぁ」と中林に呼びかけた。
 「ハイ?」
 「お前なぁ、そういう時は腹の底でそう思ってても口に出したらアカンのやぞ」
 「……すいません」
 「まぁええ。そういうトッポい所も若さに免じて許したろ」
 中林は、その「許したろ」の一言で、初めて場の緊張が緩んだように感じた。
 「…どうしても良い所見せたくて、やりました。すいません」
 「謝らんでええ。それくらいでないとプロは務まらんからな。俺はただ、そういうのは口に出したら面倒になるぞ、て言うただけや。ホラ、『口は災いの元』って言うやろ?
 まぁ、スタンドプレーやりやがってって怒ってたヤツはおったけどな。マズい結果さえ出さんかったら、後はどうにかなるもんや」
 監督の話を聞きながら、中林の頭の中では守備走塁コーチの顔が浮かび上がっていた。スタンドプレー云々と言ってたのは、多分あの人なんだろうなと思った。
 「──おい、中林。お前は今日の結果に不服やったかも知れんけどな、俺はお前の働きを評価しとるんやぞ」
 「あ、ありがとうございます!」
 思ってもみなかった言葉だった。先刻とは別の種類の涙が溢れ出そうになった。
 「──お前が必死になってホームを狙おうとするその気持ちやプレーがやな、相手のピッチャーに4つ目のボール球を投げさせるプレッシャーを与えたはずやと思うんや。…まぁそりゃあ、お前よりもバッターボックスの方を気にしてたのは確かやろうけどな。それでもあの場面で3塁ランナーにチョロチョロ動かれると嫌なもんなんやぞ」
 「は、ハイ!」
 「…で、それでや。今、俺がお前に何を言いたいかが判るか?」
 「……え?」
 突然の質問に、口をポカンと開けて呆然とする中林。しかし、監督はそうなることを見越していたかのように、諭すような口調で言葉を繋げた。
 「…今日のお前は、試合の中で分かりやすい結果を出そうと躍起になってたな。まぁ、それも間違いとちゃう。あの場面でお前がホームスチールでもやってたら、それこそ大ヒーローや。
 けどな、野球っちゅうのは目に見えるもんだけが全てやないんやぞ。さっき俺が言ったみたいに、目に見えんプレッシャーを相手に与えることもできるんや。
 例えば大投手と言われるような選手はな、マウンドに立つだけでバッターを萎縮させるような迫力があるもんや。大打者と言われる人も同じや。もちろんそれは、実力に裏打ちされた自信が相手に伝わってそうさせるんやけどな、野球に限らず何にでもそういうことはある。
 なぁ中林よ。お前も今日みたいに危ない橋渡りながら頑張るのもええけどな、せっかく速い足持ってるんやったら、ただ塁に立ってるだけでピッチャーにプレッシャー与えるような選手になってみたらどうや? あいつは足速い。2塁からでも普通のヒットでホームに戻って来る。塁に出るだけで怖い。…そういう存在になってみい。そうなったら、今度はバッターボックスに立った時も怖いと思ってもらえるようになるぞ。外野守るにしても、『あいつ、足速いから守備範囲広いんやろうな』と思ってもらえる。な、そうなったらこっちのもんや。
 ……とりあえず、今回はこれで二軍に戻ってもらうけどな、今度は相手にとって怖い選手になって、また一軍に戻って来い。その時は3週間やない長い付き合いしようやないか」
 中林は直立不動で監督の言葉を聞いていた。体中に力を入れていないと、どうにかなってしまいそうだった。そして、話が終わると、
 「…ありがとうございます!」
 と言って、高校球児のように深々と一礼した。
 監督はそれを見て、「ん」と満足そうにうなずくと、もう一度「気をつけて帰れよ」と言って退室を促した。しかし、中林はそれに応ぜず、
 「──監督、最後にお願いしていいですか?」
 と、言った。監督は、また怪訝な顔をしたが、「なんや、言ってみい」と、部下の発言を促した。
 「監督、俺の荷物、宿舎まで運んでいただけませんか?」
 「何?」
 何を言っとるんだ、コイツは、という顔をする監督を無視するように中林は続けて言った。
 「俺、今から宿舎まで走って帰ります。帰って練習したいんです。よろしく、お願いします!」
 すると監督は、先刻よりも大きな声でガハハと豪快に笑うと、
 「よっしゃ、分かった。確かに引き受けたから、気ィつけて帰れよ」
 そう言ってまたガハハと笑うと、中林に改めて退室を促した。彼は「ハイ、ありがとうございます!」と、もう一度深々と礼をした後、入室の時とは違い、張りのある大きな声で「失礼します」と言って、一目散に廊下を駆け出した。
 廊下に出ると、一軍の選手が帰り支度を済ませて球場の外へ出ようとするところだった。中林は先輩たちに「失礼します」を連発しながら人の波をすり抜け、ただただ全速力で廊下を走りぬけた。呆然とした一軍選手たちの顔が、やたら可笑しかった。
 やがて、外に出た。試合が終わって既に小一時間。選手用出入り口は観客の目につかない所にあることもあって、さすがに辺りは静寂に包まれていた。あるのは、アスファルトで舗装された地面と、殺風景な球場の風景。
 「──よし!」
 中林は一度立ち止まり、一声あげて、それから両手で自分の顔をバシバシと張りとばしてから、もう一度駆け出した。
 ──相手が怖がるような選手、か。
 中林は走りながら、監督から聞いた言葉をもう一度噛みしめていた。
 果たしてそんな選手に自分はなれるのだろうか、という不安はないわけではなかったが、それ以上に体中から得体の知れないエネルギーが溢れ出て、それをたちまちに打ち消した。
 ──またいつか、ここに……。
 走ったまま、中林は後ろにそびえ立っている球場を振り返った。明日からまた、ボロボロの二軍用球場での日々が始まる。でも、いずれここに戻ってやるんだと思うと、それも気にならなくなった。ついさっきまでブルーだったのに自分は単純だなと思うと、また可笑しくてたまらな